フォントの力を考える
大飯原発差し止めのニュースが話題になっておりました。
が、よくよく聞いてみると話題の焦点は原発差し止めじゃなかったんですよね。
「あのフォントはねーよ」
……何のことかわからない方に説明します。
裁判の判決が出た時に、膨張できずに外で待つ支援者のために裁判所から出てきて「勝訴」とか「差し止め認める」とかって巻物を広げる光景を見たことがあるかと思います。今回は「差し止め認める」「司法は生きていた」の2つだったかな。通称:びろーんとか言ってますが、誰に聞いてもあれの正式名称を知らないんですが。
あれって筆書きだったりすることが多かった記憶があるのですが、今回はなぜかPOP体のパソコンフォントで書かれており、それはねーよと言っている方がいたわけです。
誤解されそうなので先に言っておきますが、毛筆じゃなきゃダメだ!とかパソコンで手抜きするな!って話ではありません。別にパソコンでいいと思うのです。以前、どこかの裁判の時に、「勝訴」をタブレットパソコンに表示させていたというのを見たことがあります。それはそれでありなんじゃないかと思ってるのです。あのびろーんは毎回作り直してるとの噂なので。
問題は、他にデフォルトでパソコンにフォントが入っているはずなのに、よりによってなんでPOP体なのだ!という話なのです。別にMS明朝とかでいいじゃないですか!POP体じゃ真剣味が一気に削がれるよ!という話です。
チラシ作成などでPOP体を多用される方って結構多いです。その辺は好みでしょうし、可愛く見える効果もありますので、完成を批判するのは難しいのですが……。フォントによって受けるイメージって結構変わるんだよなあとものすごく思います。
と文章でごちゃごちゃ言ってもピンと来ないと思いますので、例を作ってみましょう。わかりやすく「勝訴」と「不当判決」で作ってみましょうか。
印象がずいぶん違うと感じる方も多いのではないかと思います。
(ちなみに私のパソコンの中にあるものから使用してるので、「このフォント、私持ってない!」ってのがあるかもしれません…。MS Officeや年賀状ソフトなどをインストールすると、勝手に追加されるフォントもあったりします…)
テキスト(文章)というものは、とても無機質で感情を表現するのが難しい媒体です。電話や動画ですと声色や行動などで自分の鑑賞の表現について補助されているのですが、テキストだけではそういう感情を出すのは難しかったりします。
(故に(笑)とか(^^;)のような顔文字とかが作られるようになるのですが…)
そんな感情を表現しにくいテキストに対し、フォントを選ぶということは受け手に対して感情を伝えやすくなる数少ない手法の1つだったりします。
楽しそうなお知らせに対しては、楽しげに感じるフォントを選びますし、不幸のお知らせに対してはそれなりのフォントを選びます。結婚式の文面に教科書体を使いますと「結構お固そうな結婚式なのかな?」と思ったりしますし、丸ゴシック体やPOP体ですと「砕けた感じの楽しげな結婚式なんだな」と感じます。逆にお悔やみの挨拶文面にPOP体や丸ゴシック体を使ったりしますと、受け取った側は「こいつ喧嘩売ってるのか!?」と思われても仕方ありません。フォントというのは、そのくらい影響があるのです。
みなさんもチラシを作ったり書類を作ったりすることが多いと思います。
その時に使っているフォント、少し気にしてみると、同じ仕事でもイメージが変わりますよ。
……ちなみにPOP体は個人的に使いどころがものすごく難しいフォントだと思っています。多用するとものすごく安っぽく感じるのですよね……。